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手の中にある丸いもの

脳内イメージ(妄想)を文字情報にするための製作(ヲタク)ノート…
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  • 05/17/15:43

どこにいっても現地の人か

とにかく道を尋ねられる。

都内歩いてても、
東京駅でも、
八尾の商店街あるいてても
福山駅前でも。
金沢駅前でも、
兼六園下でも、
仙台駅前でも。
横浜でも、
こっちが道に迷ってんだよ!><
って言いたい梅田の地下街でも。
心斎橋でも
なんば周辺でも、
三宮周辺でも、
前歩いてる人スルーしてオイラっすか?><
渋谷駅のモアイ側で…。

まぁ日本国から出たことないので海外ではまだ道きかれてないけど。

日本にいるのに外国人と知り合いになったり…。
ギリシア人
イギリス人
アフリカ人(っていっても広いからな…ガーナだったかな)
スペイン人
別にそういうところ行ってたわけではないよ…。

日本でもこの体たらくなのに海外でたら真っ先にカモられそうっすね。
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資質

ほんのり自殺のコトを考えたのは何時だったか、
小学校からの帰り道、
早く死んでしまいたい、と
漠然と思う日々があった、
いじめられてたわけでもない、
家は既にキライだった、
両親もどちらかというといなくなれって思ってた。
転校する前だから
2年生か3年生の頃だ、
家に帰ると自分の本音を隠さなきゃいけなくなっていた、
本当のことを言わない自分になろうと思った、
本当のことを言うと、
両親に存在そのものを否定されているような感じだったから。
だから具体的な方法は考えていなかったけど、
死ねるなら今すぐにでも、死んでしまいたいと思っていた。


死ぬ気になれば何でも出来る、

そんな言葉でなんとか生きていた、
死ぬ勇気がなかったのもある、

26歳のとき知り合った友人の過去は、
とてもじゃないけれども幸せとはいえなかった、
カノジョは両親が健在なワタシが羨ましいみたいだけれど、
健在な両親だからと言って幸せを感じて生きてきたとは言いがたい、
むしろ、不幸だと思っていた、

そんな彼女の壮絶ともいえる人生で、
選択肢の中に死ぬ、って言うのは一度もなかった、
死ぬことが選択肢にあれば、
もしかしたら、カノジョは今より少し、気楽に生きてこれたかもしれない。
そう思った。

自殺、が人生の選択肢にある人と、ない人、
それは資質といえるんじゃないかって、思った。
そういう人種と
そうじゃない人種。

どっちがダメかは一目瞭然だ。
自殺が選択肢にある人間は、
常に生きる糧が必要だから。


28歳ぐらいのときに、一連の「日曜日」を書き上げた、
死ぬことが選択肢にない、自分が死んでしまった子供がオトナになる話。
幻想の世界に理想の家族を手に入れてしまったワタシには
生きる糧が無くなってしまった。

レキソタンの服用は5年以上になるが、
最近なにもかも面倒くさくなって、あまり考えなくなった。
歳かなぁ、たぶん、山積した問題から逃げてるだけかも。
レキソタンの服用が止まって2年になる。
中毒があるらしいけど、なんもないよ?

とりあえずただ生きているために働いている。
こんな安らぎがあるのなら、もっと早く知りたかった。

せつねー

ボクは高等教育を5年制で受けてる。
といえばわかるかな…高専だ。
3年までと4年からがビミョーに違う感じがする。
3年まではクラスってばグループに別れてしまう現象があったのが
4年からはグループ意識が希薄になったような。
男女違いのグループだったのが混成になったりもする。
卒業できなかったり留年したりで1年2年上の同級生とかあたりまえだし。

4年ぐらいから行くのイヤになってきて(何かあったかな?)
しかし公立高校より授業料高いって文句言われた日には
卒業しなきゃ、って思ったんだよね。
高専中退じゃ仕事ねぇだろ、って思ったさ。
5年から編入で大学行くヤツとかいるんだけど、
そんなヤツは最初から進学校行けばいいのに、って思ったな…。


まぁそんななかで恋の話もあったさ。あるさ。

カノジョは同じ中学出身の男の子と付き合ってた。
2年だっかな、そのくらいに別れた。
カノジョはかわいいのにちょっと地味目のグループにいた。
入学当時、女子のランク付けを勝手にされて、彼女が1番だったのと
ノロケ話ししかしないからハデ目なねーちゃんたちから煙たがられたみたい。
同じクラスのヤツがずっとカノジョのこと好きなの知ってた。
ヤツはどっちかっていうと地味じゃない方の人種だと思う。
3年のオワリだったかいつだったか忘れたんだが
カノジョとヤツ、付き合い始めた。
オレら席替えってクジ引いても結局いつもの面子と近いところにクジ入れ替えて決まっちゃう。
オレ一回駄々こねた…折角窓際席なのに代わってくれって。
別にベンキョーすんのに席カンケーねぇ、とか思ったけど年上の同級生に言われると仕方ないっすよね…。
だもんでなんかずっとこのポジションじゃないっけ?って感じだ。
2人付き合いだしてから
大概オレの後ろにカノジョいて、そのとなりにヤツがいる。
…ちなみにその2人、卒業して1年か2年目には結婚しました。
ヤツの純愛っぽくてなんかいいな~。
(それに比べてオラはなんなんだろう。)



2年の時だったかオレんちに突然、××さんから~って親が言う、
電話があった。(当時携帯電話は007の持ち物。)
××さん?クラスメートの××の妹です、と向こうが名乗る。
「文化祭っていつからですか?」
みたいなことを訊いてきた。×月×日からですけど…。
どうもありがとうございます、みたいなこと言って電話終了。
××の妹とは面識がない…なんでウチに電話????
強いて言えば家が近い(中学の学区が隣ぐらい)ってことぐらいしか思いつかない…。
その理由、なんとなくわかったの、4年だか5年の頃。
しかももう時効だから、みたいな話…。××にカノジョいた。
当時××はほんのり恋心もってたらしい。ホウホウ。(他人事)
それで妹が電話してきたのか…となんとなく納得、
それって仲いいってことだよね!いいなぁ兄と仲のいい妹って!!!
自分の恋話妹に話せるってなんかいいぞ!
勝手に話作ろうかなぁ~♪
(血のつながった兄と妹の話って考えたこともなかったな…)







タミフルなくても幻覚幻聴

タミフルと異常行動の因果関係が騒がれてる昨今
インフルエンザウィルスでの高熱でも子供は幻覚やら意識障害はおこりやすいそうだ。
そういわれてみればそんな記憶も。

子供のころ毎年冬場は1度ぐらいは高熱を発する風邪をひいたもんだ。
ただしインフルエンザでしょう。という医師からの診断を受けたのは1度ほど。
だが幻覚を見た経験は3度ある。
幻聴と幻覚のダブルできたのは1度だが幻聴は自分が起き上がっても
しゃべっていてもなかなかとれないでとても恐ろしくなった記憶がある。
幻聴がこわくて母親の寝室まで行き
理由が思いつかなくてトイレを口実にわざわざ起こしたことがあるw
(別にトイレなどいきたくなかったが。しかも一人で行ける年齢(5年生~中学生ぐらい)なのに)

中学3年生といえどまだ15歳になっていない春に水疱瘡になった。
症状は大人のそれと同じで大粒の疱瘡に高熱。
入院中に定期検温で40度を指していたが怖くて体温計を元に戻して黙っていたことがある。
その怖さは自分が死んじゃうかも?みたいな怖さと
40度になっちゃって大人に怒られちゃう!と両方だったと思う。
40度示してたのに冷静だったな…なんとかして隠さなきゃ、みたいな
かんじだったね…今もそうか、逃げか。
検温だから当然看護士が回収に来る。
水銀柱を下げちゃった体温計を渡して、「何度あった?」ときかれたときにごめんなさい、見たいな気持ちで40度あったと答えたとき、「なんで呼ばないの?!」とあわてられてびっくりした記憶が。
恐いから誰か助けて、とか、
危ないから誰か助けて、とかそういう意識が全くなかった。
そんな風に看護師が言ってて、
甘えていいのか、と思ったんだったな…。

そういう教育受けてなかったんだよね…きっと。

幻覚は思い起こせば笑えるが布団を取り替えるからそこをどけと、
布団が浮いているっていうやつ…
今から合戦だから炊き出しをしなさいっていわれて
お櫃が浮いているやつ…
合戦の最中に聞いた子守唄がいつまでも離れないでザワザワ言っていたと思う。

10年分のあれこれ

この10年間のうちに影響受けた言葉って言うと
BBS用語、とアンディマクナブ翻訳本、
ということは翻訳者の伏見威蕃さんの文章か。
顔文字アスキーアートに最初から拒絶反応、
流れで絵文字も使う気全くナシ、
ギャル文字論外、だけど(笑)→wは楽でいいな。
某2chいけばもっとあるのかな。
デモコワクテイケナイヨー2ch。

「日曜日」ver2がだいぶ書けて読み返すと、
高校生の頃トモダチに言われたこと思い出した、
リズム?があるとか。
自分の文章だからそう思うのかもしれない?
けれどリズム、あるな、確かに。
これがオイラの呼吸か、なんか恥ずかしいな…。